鳥と暮らす

アキクサインコやオカメインコを飼っています。
良くも悪くも飼い方の参考になり、より多くの鳥たちが元気に暮らせれば幸い。

イプシロンは逝きました

昨夜遅くにオカメインコ雛のイプシロンは逝きました。
食滞が大きな死因でしたが、ボレー粉を除いたことで今回は食滞になる子は少なく済んだように思います。イプシロンの症状も過去に食滞で亡くなった子たちと違っていました。
食べ物でそのうがいっぱいになっているのに空腹感が強く食べ物を必死でねだる子が多かったのですが、イプシロンはそんなにねだる様子はあまりなかったのです。
食滞の治療や予防についてあらためて調べてみようと思っています。


「虹の橋を渡りました。」と書く人も多いけれど、意味を調べてみました。
なるほど、動物ペットの死を悼む詩が由来とのこと…
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この世を去ったペットたちは、天国の手前の緑の草原に行く。食べ物も水も用意された暖かい場所で、老いや病気から回復した元気な体で仲間と楽しく遊び回る。しかしたった一つ気がかりなのが、残してきた大好きな飼い主のことである。


一匹のペットの目に、草原に向かってくる人影が映る。懐かしいその姿を認めるなり、そのペットは喜びにうち震え、仲間から離れて全力で駆けていきその人に飛びついて顔中にキスをする。


死んでしまった飼い主=あなたは、こうしてペットと再会し、一緒に虹の橋を渡っていく。
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お気づきでしょうか?
亡くなったペットは虹の橋の手前で飼い主が来るまで待っているのですね。逝去しても虹の橋はすぐに渡っていません。
天国への橋なので間違いではないでしょうが、由来の詩の内容とは合わない使われ方が広まっているみたいです。


私は度々「星になりました。」という表現で書いているけれど、天に昇る、昇天するというつもりで、飛ぶ鳥らしくていいと感じているからです。


今朝早く、イプシロンを荼毘に付しました。マニ車を回しながら。

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